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1989年
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新生ホークスは、ダイエーとなって福岡へ移転。南海時代のファンブックと違って、雑誌的な作りに変身した。杉浦監督4年努めて、この年限りで勇退。 |
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1990年
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田淵監督就任1年目。今までファンブックは大型書店にしか置いてなかったが、スーパーダイエーのレジ横に置かれるように…。 |
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1991年
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表紙は当時の人気者で左から、湯上谷、村田、佐々木。広告掲載のおかげか?価格がとうとう210円という安価に。何かファンブック感じがしません。 |
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1992年
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表紙は佐々木選手の似顔絵。この年も210円でオフィシャルファンクラブのオマケになってしまった。この年で平和台球場最後となる。 |
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1993年
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福岡ドーム元年。表紙は当時人気物で、左より浜名、佐々木、若田部(その後全員移籍)。このオフ、生え抜きのスター佐々木はトレードで西武へ。 |
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1994年
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根本体制の2年目。佐々木とのトレードで秋山、FAで松永、新人で小久保らが入団し、ホークスが少しずつ様変わりし始める。この年よりファンブックではなくイヤーブックとなる。 |
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1995年
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世界のホームランキング・王貞治が監督に就任する。表紙はこの年のスローガン「AIMING(エイミング)」。この年に西武より石毛、新人で城島が入団する。 |
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1996年
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表紙は、この年のキャッチフレーズ「1,2,3いかせます」。結果は123どころか王監督ワーストの最下位。 |
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1997年
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表紙はこの年のキャッチフレーズ「Wild but Balanced」表紙はイラストではなく、刺繍で制作されたものを写真撮影したものを使用されています。 |
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1998年
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表紙には久しぶりに選手写真が復活した左より吉武、城島、岡本、佐久本、井口。この年初めて優勝争いに加わり選手に自信が生まれる。 |
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1999年
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王監督5年目。この年ついにダイエーホークスとして初優勝。イヤーブックのサイズがドーム元年以来のA4サイズに戻りました。優勝したにもかかわらず次年からイヤーブックは休刊となる。 |
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2002年
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3年振りにイヤーブックが復活。今までのように球団主導ではなく、オフィシャル誌として誕生した月刊ホークスの編集部が主導で作成・発行になりました。 |
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2003年
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常にAクラスの球団になったが、優勝からもう2年も遠ざかっているので、ここが正念場。和田・新垣の逸材が入団するも、主砲小久保が大ケガでシーズン中の復活が不可能に。 |
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2004年
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昨年は阪神との日本シリーズを制し、ダイエーとして2度目の日本一。キャッチフレーズもGOLDEN-HAWKSに。小久保が抜け、村松が抜たがレギュラーシーズン1位となる。 |
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2005年
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オーナーがソフトバンクに変わり、ロゴ、ユニフォームも変更。この年よりセパ交流戦、アジアNo.1を決めるアジアシリーズがスタートし、新生ホークスは「世界一」をめざす! |
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2006年
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2年連続して、レギュラーシーズン1位になるもプレイオフに破れて日本シリーズへの出場はならず。即戦力の新人も加入し、今年こそ日本一だ。この年WBCが開催。王ジャパンが世界一に! |
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2000年と2001年のファンブック(イヤーブック)は発売されておりません。
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