1990年【ビジター】 藤本博史選手:実使用
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選手名
藤本博史(5) 1990年のモデル。球団をダイエーに譲渡し、フランチャズを福岡へ移した1989年よりこのモデルを採用。ファッションデザイナーの三宅一生がユニフォームのデザインを担当、DCブランドユニフォームとして一世を風靡しました。平和台球場の時代に使用され、田淵ダイエーを象徴するモデルです。ホームはドーム移転前の1992年まで使用されましたが、ビジターはベージュ色が捕手のサインを見にくいという理由から1991年よりグレー地にオレンジストライプに変更されました。(下記ZOOM-UP参照) タグは89-39となってますが、1990年に背番号が5になり、貼替えられたようです。
期 間
1989年〜1990年
仕 様
プルオーバーV
生地色
ニット・ベージュ
マーク
二重チドリ
製 造
ミズノ(ワールドウィン)
所蔵者
武知義一さん(土佐武)
南海から球団の経営権を譲渡されたダイエーが、南海色を一掃したユニフォームに変更しました。プロ野球界初のDCブランドユニフォームで、そのデザイン料は推定で5000万円といわれています。ユニフォームの一式が150万円という高額で、他球団の2倍近い豪華版でしたがユニフォームのデザインでいえば、決してカッコイイユニフォームとは思えませんでした。ただ同時に登場した鷹の顔をモチーフにした通称ガッチャマンヘルメットとダイエー時代を通して使われた鷹ジャンパーのデザインは、過去のプロ野球用品の概念を崩した素晴らしいデザインだと思います。右の写真は、上記写真のベージュからグレー地にマイナーチェンジされたものです。

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